古屋旅館 専務取締役 内田宗一郎さん

2014年5月30日

青年部会員へのインタビュー・シリーズ、『アキナイ人たち』。
今回は熱海屈指の老舗旅館である「古屋旅館」の若だんな、内田宗一郎さんです。
内田さんは現在、熱海市観光協会副会長および熱海温泉旅館組合青年部長であり、当商工会議所青年部でも理事を務められています。
それでは出口会長との対談も交えたインタビューをお楽しみください。

<奥様は・・・>

出口 唐突だけど、若おかみでいらっしゃる奥様とはどちらでお知り合いに?
内田 札幌です。銀行員時代、一緒に札幌赴任した同期が北大出身で、彼を通して知り合いになって。
出口 もしかして旅館の娘さんだったとか。
内田 旅館とは縁のない一般的な家庭だったのですよ。
出口 それじゃ、 熱海の旅館に嫁いで、しかも将来はおかみさんとして切り盛りするわけだから、奥様、最初は相当違和感があったでしょう。
内田 それがそうでもなかったです。すんなり溶け込んでくれました。今は当館に欠かせない存在ですから。
出口 じゃ、今日はツーショットでいく?
内田 勘弁してくださいっ。ただいま接客中ということで(笑)。

<二百年以上の歴史を誇る旅館>

出口 古屋旅館といえば熱海屈指の名門旅館ですけれど、どれくらい続いているのですか?
内田 1806年の創業ですから、200年以上になります。
出口 ほえ~っ。で、宗一郎さんは何代目?
内田 旅館を創業してからは7代目です。内田家としては17代目で、これは家系図が残っているのですよ。
出口 じゅう・なな・だい!これはまさにプリンスの世界だなあ。ひょっとして旅館の名前、古くからあるから「古屋」さんなの?
内田 いえいえ、創業当時から「古屋」です(笑)。
出口 館内に展示されている”逸品”を拝見するだけでも旅館の歴史がよくわかるけれど、同時に熱海の歴史そのものを感じます。その昔から幾多の著名人や政治家、そして文人墨客に愛されていたかということが・・・。

------ 古屋旅館の“現在”をお聞かせください。

内田 部屋数は26部屋ですので、全国的なカテゴライズをすれば小規模旅館だとか中小規模旅館と呼ばれています。価格帯は平均で3万円前後、これは僕なりの言い方ですけど「アッパーミドルクラスの旅館」と呼んでいます。

------ 古屋さんの魅力を一言で言うと?

内田 「日本一景色が悪い旅館」と言っています(笑)。熱海といえば「海」ですけれど、当館は海辺から徒歩2~3分にもかかわらず、いっさい海が見えません。さらに奇をてらったサービスや設備もありません。けれど、清潔なお部屋、本物の温泉、美味しいお料理にはこだわりを持っています。この3つに十分満足してもらったうえで、さらにリピートしていただけるよう努力しています。おもてなしや人的サービスについては過度すぎず、あくまでも「さりげなく」を心がけています。

------ 一言で200年以上といっても、様々な変遷があったかと思いますが。

内田 旅館というのはきわめて競争が激しい世界です。先行投資が大きい割に利幅は薄い。お客様の嗜好・ニーズが変わるのは3年スパンとも言われています。その中でどのようにして200年以上続けてきたのだろうと考えていましたが、結果、それが「無理をしない」スタンスにあったことに気づきました。たとえば高度経済成長期の団体受け入れブーム、最近の露天付ブームなどは大変な投資が必要で、引き返しがききません。その中で「時代に一歩遅れでもよいくらいのスタンス」が、功を奏してきたのだろうと思います。

------ 京風懐石料理も評判です。

内田 食材の選別や全体のバランスなどを重視して、いわゆる”懐石”のルールに囚われ過ぎないお食事を目指しています。たとえば、どんなにおいしいラーメンでもアンチがいるように、すべての方に満足いただけることはとても難しいことなのですが、9割の方に満足していただけるように日々研究を重ねています。

------ 最近のお客様の動向は?

内田 熱海の旅館業界は最近上向きの感があって、お客さんが今までより一つ上のプランを選んでくださるのが如実にわかります。最近はネット上の予約も多いのですが、おかげさまで「口コミ」でも大変良い評価を頂いています。

<学生時代・銀行マン時代のことなど>

------ 簡単なご経歴を教えてください。

内田 昭和48年熱海生まれの熱海育ちです。熱海中卒業後に県立韮山高校、そして早稲田大学へと進みました。大学卒業後、当時の三和銀行、現在の三菱東京UFJ銀行ですね、そこに入行して、札幌支店勤務から始まり東京勤務まで、都合5年間銀行マンを経験しました。その後、家業である古屋旅館に戻りすでに10年以上になります。現在は専務取締役を務めています

------- 高校時代は何かに打ち込んでいらっしゃいましたか?

内田 本当のところ部活動などに時間を割かれるのはあまり好きではなかったのですが、将棋部に属していました。将棋って結構、スポーツに似ているところがあって、次の一手を読みつつ戦うのが性に合っていたと思います。

------- 大学時代は?

内田 大学時代はもう、バイトに明け暮れていました。特に新宿NSビルのワインバーで随分長いことウエイターをしていたのですよ。今思うと接客マナーからサーブの仕方まで、おもてなしについて多くのことを学びました。そうそう、バイトの思い出といえば、コルクの栓に電話番号を書き込んで女性客に渡すなんてこともしていたなー。ほとんど不発に終わりましたが(笑)。当時のお店は比較的大らかでした。

------ 銀行員時代を振り返っていかがでしたか?

内田 札幌時代は融資担当で、100億円以下の融資を50社ほど担当していました。その後、東京本社でデリバティブの研修をしてから、日本橋の支店に移って新規融資を経験しました。新入行員として札幌支店に赴任した時期に地元の拓銀が破綻したのです。これは衝撃的で、初めて銀行にバブルのツケがまわってきたのを目の当たりにしました。その札幌時代、自分が担当していた融資先の中で一番小さい規模の会社が「おにぎり屋さん」だったのですが、それでも熱海の旅館でいえばトップクラスくらいの売上を誇っていました。当時は大企業と比していたのであまり感じなかったのですが、消費者から見れば1個百数十円のおにぎりをこれだけ売上げるというのはすごい事なのだなと、家業に戻ってから強く思いました。そのような色々な企業を知る事ができたり、決算書を読む勉強になったり、銀行員時代は大変貴重な経験をしました。

<さすがプリンス>

出口 古屋旅館の長い歴史の中でも、銀行員の経験をされたのは宗一郎さんが初めて?
内田 おそらくサラリーマン経験をしたのは僕が初めてだと思います。
出口 ああ。それも大手のホテルマンではなくて銀行マンというところが興味深いですね。都市銀行っていうとまさに“半澤直樹”の世界なのかな?
内田 かなりデフォルメされてはいるけれど、あのような世界は何となくわかります。僕も観ていましたけど、とても良くできたドラマだと思います。
出口 振っておいてごめん、僕は一度も観ていない(笑)
内田 ガクッ。
出口 話変わりますけど、宗一郎さんには商工会議所青年部の発起人として、また現在は青年部理事としてお世話になっています。
内田 早いですね、もう一年ですね。
出口 良く覚えているのはさ、設立前の2月、割烹料理店で初めてお酒を酌み交わそうという時に、僕は奮発して“ふぐ料理”を注文したんだ。
内田 はい、覚えています。
出口 でもほとんど箸をつけなかった。こりゃ、さすがプリンスだな、と。
(爆笑)
内田 あの時、あまりお腹が空いていなかっただけなんですよ。
出口 ここで箸をつけたら後が大変だって、警戒してるのかと思った(笑)
内田 そんなことないですって。
出口 おかげさまで宗一郎さんの色々なアドバイスもあり、無事に船出ができました。そうこうしているうちに、昨年、熱海市観光協会の副会長に就任されて。
内田 商工会議所、観光協会、それから旅館組合ですね、熱海の経済三団体と呼ばれる三つの組織を経験する事ができました。観光協会と旅館組合は観光業というくくりですけれど、商工会議所は異業種の集まりですから、青年部については、人と人との交流ができれば、目的としては九割成功といえると思います。

<熱海を思う>

出口 そういえば最近、熱海駅前の人通りが増えてきた気がするのだけれど。
内田 ツイッターなどをチェックしていると、熱海についての評判がとても良いですね。ツイッターだから必然的に若者の声が多いのでしょうけど、昔の熱海を知らないであろう彼らが評価してくれるのは、少なからず良い方向に向かっているのだと感じています。
出口 一方で、お客さんたちが街場まで流れてこないという嘆きを“夜の蝶”たちから耳にしたよ(笑)。
内田 昔は「旅館ホテルの囲い込み」なんて言われましたが、今はそんなことはなくて。当館でも夕食後に楽しめるお店を積極的に紹介しますし、館内には専門の土産物店を置かないなど、外でも楽しんでいただけるようにしています。色々なスタイルがあっていいのだと思います。なにせ熱海は食事処も含めて皆さんに知ってもらいたいお店がたくさんありますから。
出口 芸妓さんのつく宴席っていうのも熱海は独特だよね。
内田 たとえば数名の宴会にまで芸妓さんが普通に入るのは全国的にもあまりないです。現在は在籍者数も相当減って実質100名程ですが、本来は閑散期に旦那衆が面倒を見てあげる歴史があったのですね。
出口 「フジヤマ、ゲイシャ」という言葉が象徴的で、近隣地区の人たちでさえも、何か外国人が異文化に接しているようなイメージを持っているからね。
内田 実際はこの街で共に暮らしている仕事上のパートナーですから。これもやはり熱海の独特な文化なのでしょうね。

------ 最後に、青年経済人の立場として、熱海の将来について一言お願いします。

内田 様々な方向性がある中で、まずは人口を増やす方策を考えるべきだと思います。具体的には6万人を目指すべきだと。よく言われる手法の一つに企業や大学の誘致等があり、もちろん来てくれれば嬉しいのですが、そこは莫大な投資が必要となるので簡単に来てくれるとは思えません。それを待つよりも、長い間ノウハウを養ってきた「観光地としての熱海」をさらに輝かせていくべきだと思います。観光に訪れたお客様や“終の住処(ついのすみか)”をお探しの方に、「ここに住んでみたい」という気持になってもらえるような、街としてのおもてなしを充実させるべきだと思っているのです。

------ 今日はお忙しい中ありがとうございました。

<古屋旅館にて>

黒澤明監督の映画『影武者』で使用された正門をバックに

写真撮影:西海裕代

◆ 古屋旅館ホームページ◆ http://www.atami-furuya.co.jp/

こんなトピックスも
http://www.atami-furuya.co.jp/history/

◆ プロフィール ◆

内田 宗一郎 ( うちだ そういちろう )

昭和48年生まれ
平成4年3月  静岡県立韮山高等学校卒
平成9年3月  早稲田大学法学部卒
平成9年4月  株式会社三和銀行(現 株式会社三菱東京UFJ銀行)入行
平成14年4月 合資会社古屋旅館入社

<現在>
古屋旅館17代目
熱海市観光協会副会長
全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部 常任相談役
熱海温泉ホテル旅館協同組合青年部 青年部長
熱海商工会議所青年部 理事

【 編 集 後 記 】

 今回の「アキナイ人たち」、皆さんお楽しみ頂けましたか?

 内田さんは数多くの公職を兼務されているお忙しい身ではありますが、旅館へ取材に伺った際は、玄関口にてチェックインのお客様を笑顔でお迎えしていました。若だんならしくテキパキと対応するその姿は、長い歴史を有してきた旅館の威厳をも感じさせるのでした。
 また、都市銀行マン出身とのこと、バブル崩壊期の銀行業界を肌身で感じてきたその経験はきっと現在の生業にも役立っていることでしょうし、その折り目正しさは旅館業における”おもてなし”の立ち居振る舞いにつながって行ったのだなあと感じました。
 普段は歯に衣きせぬ、というより物怖じしない会話も魅力的で、僕ら団体の会議においても具体的でわかりやすい方向に導いてくれるので、とても頼りにしています。
 ま、僕としてはシッカリ者の彼を、もっともっと崩していきたいと目論んでいるのですけれどね。一緒に酒飲んでるときのように・・・フフフ。

 このコーナー、仲間が仲間を紹介する事によって、その人物像や熱海のリアルをより浮き彫りにしていきたいと考えていますので、皆様からのご意見ご要望などいただければ幸いです。
 それでは、どうぞ次回もお楽しみに。

出口 拝