2014年3月10日

『アキナイ人たち』と題し、青年部会員にインタビューするコーナーを設けました。
それに先立ち「プロローグ」として、出口直樹会長と熱海の守り神である来宮神社の雨宮盛克宮司が対談をしました。
雨宮さんには青年部設立時の発起人として、また、現在は監事としてお力添えを頂いています。
お二人ならではの興味深いお話をしていただきました。

■「さて、どうしよう?」

出口 青年部発足からまもなく一年です。
雨宮 まちの人口を思えば、初年度から80名を超える集まりになるとは驚きました。
出口 出だしは20~30人くらいが丁度良いかな、なんて話していたのですけれど。
それゆえに「さて、どうしよう?」と。
雨宮 (笑)
出口 この一年は「交流と勉強会からぼちぼち始めていこうよ」とお願いしてきましたけれど、皆が一堂に集まることはなかなか大変だということも痛感して。なので、交流の手助けも兼ねて会員の皆さんをウェブ上で紹介したらどうかと思ったのです。
雨宮 お互いを知る事は本当に大事ですから。
出口 せっかくですから四角四面の紹介ではなく、仲間として同じ目線で多少馴れ馴れしく(笑)聞いてみたいなと。その初回が宮司さん。初回から馴れ馴れしくするには無理なお方(笑)。
雨宮 そんなことない、大丈夫です(笑)。
出口 やはり今日は第1回というよりも、「プロローグ」として対談をさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
雨宮 こちらこそ、よろしくお願いします。

■ 先代のご縁を繋ぐ

出口 まずは参集殿、完成おめでとうございます。
雨宮 ありがとうございます。
出口 モダンかつ境内にもスッと溶け込んでいますね。
雨宮 五十数年ぶりに社務所を建て替えるということで、いくつか試みたのです。
出口 そういったところも話題になっています。
雨宮 例えば、屋上は御神木である「大楠」への参道に見たてて開放しました。
出口 社務所を屋上仕上げにして、しかもそこを開放するのというのは大胆なご発想。
雨宮 それから、お守りの授与所と言って、お神札(ふだ)場ですね。これを建物の中に設けました。神社では意外と珍しいのですよ。
出口 あ、それは言われてみれば、そうですね。
雨宮 お天気を気にせずに、ゆっくりお守りを選んで頂きたいと以前から思っていました。もう一つ、テイクアウト中心のオープンカフェを作りました。
出口 いいですねえ。さっそく、コーヒーいただきます。
ところで、こういったアイデアはそもそも宮司さんから?
雨宮 そうです。もちろん設計士や施工会社の方たちとも、かなり練りました。今では笑い話ですが、構想を練っている頃は私服のままで境内に入って、参拝客の会話を聞いて、それを参考にした時期もありまして。ここが良いとか、ここが不便だとか、本音の会話は勉強になります(笑)。
出口 それにしても、宮司に就任されてわずか1年半で大きなプロジェクトを終えられて。
雨宮 実は、かれこれ10年以上前から境内整備事業を進めていたのです。
出口 見方によっては「新しい宮司による新しい事業」と捉えられてしまうけれど・・・。
雨宮 全くそうではなくて。残念ながら父は完成を待たずに亡くなりましたけれど、先代の宮司が夢を見ていた参集殿であったので、その世代の方々が良いご縁を繋いで頂いて・・・。「先代の宮司が願っていたことだから」と言って、ご浄財やお力添えを頂いた方々が凄く多かったので、それは本当に感謝ですね。

■ 学校の先生になりたくて

出口 では、ご経歴を伺います。
雨宮 はい。
出口 高校をご卒業された後は、東京の大学に進まれたのですね。
雨宮 はい。実は大学在学中は、学校の先生をやりたくて。
出口 学校の先生!
雨宮 そう、中高の社会科で。父親にも相談して、3年間でいいから先生になりたいと。しかし父親からは、「先生はとてもやりがいがある仕事だけど、3年で辞める予定で先生をやる人など見た事も聞いた事もない」と言われて・・・。
出口 神社に戻るご意志があるからこそ、3年と言ったのに(笑)
雨宮 あれこれ考えて、最終的に見出したのは、神社も比較的、青少年の健全育成にたずさわるところがあるので、そちらで頑張るしかないかなと。
出口 んー。神職を継がれるということは、僕らには考えられないような宿命を背負われているのですね。実は今日、「もし宮司でなかったら何をなさっていましたか?」という質問を用意していたのです。学校の先生という答えは予想外だったなあ。でも確かにお似合いです。似合いすぎて神社に戻らなかったのではないですか(笑)。
雨宮 出口会長も先生が似合う感じがする。松岡修三さんのような感じで(笑)。
出口 えっ!よく「冷たい」って言われるのに。ま、それはいいとして・・・。
大学をご卒業されて、すぐ来宮さんに戻られたのですか?
雨宮 卒業後に、東京は門前仲町の富岡八幡宮という神社に約5年いました。その後に来宮神社に戻って、禰宜(ねぎ)として15年以上務め、昨年、宮司に就任しました。
出口 現在、市内でつかさどっている神社はどれくらいあるのですか?
雨宮 法人格を持つ神社だと9社、法人格を持たない神社も含めると約20社です。
出口 うわっ、激務ですね。僕は多賀ですから、宮司が南熱海地区でつかさどっている神社を端から言えますが、意外と知られてないかもしれないです。
雨宮 そうかもしれないですね。同じ市内でも地域柄が見えて興味深いです。

■ 神道青年会

出口 宮司さんはテレビやラジオにも良く出演されていますし、加えて、会合や祭典の席でご挨拶を拝見する事も多いのですが、弁舌さわやかで、お話も大変わかりやすいなあと感服しています。ひょっとして、その道で何かご経歴があるとか?
雨宮 いいえ、何もありません(笑)。ひとつ挙げるなら「神道青年会」といって、40歳未満の神主さんの集まりがあるのですけれど、全国で3千・・・4千人くらいかな、その全国の役員や東海ブロックの会長をさせていただきました。
出口 ブロックの!
雨宮 はい。お話しする機会も多くて、それはすごく勉強になりました。
出口 任期は1年ですか?
雨宮 2年です。
出口 さぞかし大変だったでしょう。
雨宮 大変でしたけれど、全国の若手神主連中がどんな悩みを持っているのか、どんな考えを持っているのかも良くわかったのです。また、たとえば東北、九州、北海道と全国それぞれに悩みも違いますし。本当にいろいろな経験をさせていただきました。

■ まちのアイコン

出口 昨年、商工会議所青年部を立ち上げようという話になった時、宮司さんは快く発起人を引き受けてくださいましたけれど、これもご縁とタイミングというか、宮司さんが先代を引き継がれたとほぼ同時に青年部立上げの打診があった。その時、こんな思いがあったのです。神社はまちのランドマークでありアイコン、つまり象徴です。そうであれば、来宮の宮司さんが代替りしたけれど、同じ世代としてお声掛けするのはごく自然な事でしょうと。
雨宮 ありがとうございます。象徴といえば、神社の位置づけという話になってしまうのですけど、昔は自分の娘をそのまちに嫁に出すか否かという時に、父親とか母親がそこの氏神様を見に行ったっていうのです。そこが綺麗に整えられていれば、このまちには良い人が多いだろうということで嫁に出すことを決めた、なんて逸話があるくらい、神社はまちの象徴だったのですね。
ですから、神社の境内を綺麗に整備するというのは、そういった意味合いも持つのです。
出口 ああ、すべて繋がっているのですねえ。
雨宮 それから、もともと神主や巫女(みこ)というのは、「なか(仲)とりもち」といって、参拝者がいかに気持ちよく参拝できるかという環境をつくるのが役割ですので、決して偉い存在ではありません。ご祈祷(きとう)にしてもその人の代わりになって祝詞(のりと)をあげるのだし、巫女さんもその人の代わりにお神楽(かぐら)を舞うわけです。参拝者が「こころさやかに」といって、清らかにお参りできる環境を作ってあげるのが役目なのですよ。
出口 青年部においても宮司さんが参加されていることによって、皆が安心感を持って活動してくれますし、会も自然と活発になりますから本当にありがたいです。
宮司さんは青年部の中でもやはり「アイコン」であり、「なかとりもち」なのだな、と。

■ご縁と神社

出口 そういえば、先日のNHKだったかな、テレビに出演されていて、「熱海の良いところは」という質問に、「人のご縁」と答えていらっしゃいましたね。
雨宮 はい、ほんとに熱海はあったかい人が多いですよ。その温かさが、よきご縁に繋がるのだと思います。それから、神社の存在について、そこにお墓があるわけでないのになぜ氏子と繋がっているのだろうと考えますと、そこはまず「気持ちのつながり」という部分が強いのです。祖先との繋がりも含めて、それが「ご縁」なのですね。お祭りにしても、世代を超えておじいちゃんもお父さんも、子供も孫も、家族で共通の話題ができる、ご縁を結べるのが神社ではないかなと思います。
出口 あ、それについては地元紙の記者さんがコラムに書かれていました。「来宮神社の節分祭に行ったけれど、そこには著名人もいて、おじいちゃんおばあちゃんもいて、孫の代まで同じ場所を共有している。 これは神社ならではであって、次回は記者の立場でない時に参加したい」といった内容でした。
雨宮 ああ、それは嬉しいですね。
出口 それから、昨年は御自身でも新聞コラム連載されていましたが、その中で日本人の精神について触れられていましたね。
雨宮 これは大きな話になりますけど、日本人って他者を否定しない、この前に書いた「大和(やまと)こころ」がそれなのですけど。大きな和をもって、お互い認めあって、譲りあって考えていこうよっていうのが「大和こころ」で。日本人ってそれは素晴らしいなあって思いますね。
出口 寛容ですよね。
雨宮 そう、寛容。 お互いを認め合える。

■ 第二ステージに向けての「御鳳輦」

出口 ここで「御鳳輦(ごほうれん)」(※)の話をしたいです。
雨宮 はい。
出口 集まるのは41歳・・・?
雨宮 42歳ですね。
出口 男子で数えると後厄ですか。
雨宮 ええ、そうです。
出口 御鳳輦というのは、いま熱海に住んでいる、あるいはかつて熱海で育った42歳が集って、男子が御神輿をかつぎ、女子部も結成し、約1年間地域にご奉仕すると理解しています。
こういった奉仕行事というのは全国にあるものなのですか?
雨宮 厄年の男性が御神輿を担いだりしてご奉仕するというのは無いわけではないですけど、熱海のように組織だって行う活動は全国的にも珍しいです。
出口 ふと、「御鳳輦」は今の時代にこそ有効ではないかと思ったのです。
というのは、長寿社会の今、平均寿命が80歳とすれば42歳はほぼ折り返し地点ですよね。少し大げさですけど、そこから先を仮に人生の第二ステージと呼ぶなら、そのステージに向けて、自分を見直すのにふさわしい場が提供されている。
雨宮 その通りですね。
出口 僕らの年まわりは、同窓会をはじめ色々な場面で昔の友人との再会が活発になります。「ずいぶん変わったな、ぜんぜん変わらないな」とか、「あの頃ああだった、こうだった」とか、「その後にああなって、こうなって」というような会話をしますよね。
“人に歴史あり” というけれど、単にノスタルジーに浸るだけでなく、今、自分がたたずんでいる位置を客観的に判断できる。それを42歳という年齢で定義づけているのが御鳳輦ではないかと思うのです。
雨宮 ああ、言われてみれば会長のおっしゃる通りかもしれない。
気学とか暦の上でも、42歳前後って「生まれ変わり」とか「再生」っていう意味があるのですよ。
出口 あ、そうですか!またその中で、新たな友情や人間関係が芽生えたりしますものね。
雨宮 御鳳輦の趣意というのは、42歳の男性が 「さて世に(42)出て活躍していこう」という語呂あわせもあるのですが、本来は「まちに感謝、人の縁に感謝」なんですね。来宮さんは良縁の神様でもあるのですが、男女だけでなく、人間と人間のご縁。まちにご奉仕することによって、まちの人たちからも「御鳳輦がんばれ」と言われたりして。これがきっかけで地域に浸透していった方もいらっしゃいますし、まちのために何かできないかという思いが強くなる方も多いですね。
出口 そう考えると、リスタートというか、仕切り直しをするという意味でも、御鳳輦ってうまくできているというか、理にかなっていますよね。
雨宮 ほんとうですねえ。
出口 さらに、身体の調子にしても、何かにつけ支障が出てくる年頃だというのも(笑)。
雨宮 そうです、そうです(笑)。

■福の道プロジェクト

出口 最近、JR来宮駅から神社へ向かう参道沿いの個店と連携し、「福の道プロジェクト」(※)を展開されています。その第一弾、個店ごとに神社にちなんだ個性的なお菓子を作るという、「来福スイーツ」の様子はいかがですか?
雨宮 おかげさまで、反響が高くて。実はこれも御鳳輦がきっかけで、まちのために何かしてみようという皆の思いから実現しました。それから、観光客の皆さんは限られた時間の中で色々な情報を求めているのです。ちょっと来宮駅で降りて、周辺を回遊して、何かを食べていこうとか、そこにしかないお土産を買っていこうとかという時に、こちら側からも、神社の麦こがしやダイダイ、そして来福スイーツなど、ご当地ならではの価値を提供したいと思います。
出口 昨年は「お伊勢参り」が大変話題になり、僕も参拝に行きましたけれど、「おかげ横丁」をはじめ周辺は大変な賑わいです。かつて来宮さん周辺はどうだったのでしょう?
雨宮 市役所に通じる道路は「宮坂」といって、辺り一帯は門前町だったようです。
出口 でも、現在の密集状態だと大勢の人は歩けないですよね。
雨宮 それでも周辺を見渡せば、梅園から来宮への回遊は良いと思います。特に梅の時期は。
出口 ああ、その流れは確かに魅力的です。大きな可能性を秘めているのではないでしょうか。

■ 青年部は一生の付き合い

出口 今日は振り返ると「ご縁」というテーマにたどり着いた気がします。親子の縁、まちの縁、御鳳輦の縁と・・・。で、最後に青年部のご縁についてお話ししたいと思います。
今、青年部のメンバーは時代の移り変わりに対応するのに、どのような業界にいようと迷いや不安が多いと思います。例えば自分にしても、商売の建設業が父親の頃の経営方法で通じるとは限らないですし。その中で、宮司さんが「福の道プロジェクト」に参画されたことは、皆にとって励みになるはずです。
雨宮 ある意味で冒険といえるかもしれませんけど、何より、熱海にお越しいただいた皆さん、参拝していただいた皆さんの印象に残して頂きたいという思いが強かったのですね。
出口 また、このプロジェクトには商工会議所、そして青年部の仲間も関わっています。宮司さんご自身、青年部に参画されてどのような感想をお持ちですか?
雨宮 熱海は全国的にも昔からすごく有名なまちですけれど、若い人たちが集まる組織で、皆が熱海でどのようにして行きたいかを知るためにも青年部に参画したいと思っていました。驚きだったのが、先ほども申し上げましたけど、皆の様々な熱い思いですよね。仲間に入れていただいて良かったです。
出口 まさに色々な「ご縁」が繋がり始めています。
雨宮 まちを離れない限り、一生付き合っていくメンバーですから。
若い人の意見は絶対必要で、組織の層が厚くなっていく基になるし、それは商工会議所においても同じ事だと思います。
出口 随分時間が経ってしましましたけれど、今日はお忙しい中大変貴重なお話をいただきありがとうございました。
雨宮 本当ならこの後、場所を移して続けたいくらいですけど、まだ時間も時間ですから(笑)。
出口 では、この続きは「夜の部」ということで、日を改めてお願いします、近いうちに(笑)。
雨宮 ぜひ、行きましょう(笑)

<2014年 2月 来宮神社 宮司室にて>

写真撮影:西海裕代

※ 「御鳳輦(ごほうれん)」

熱海では四十二歳の大厄の年を迎える男児が、二月の節分祭から翌年の節分祭までの一年間を来宮神社の諸祭事に参列し、神明奉仕する事で厄を逃れるという風習があります。
来宮神社例大祭当日に、鳳輦神輿(ほうれんみこし)を担ぐことから、この風習を御鳳輦(ごほうれん)と呼んでいます。
恵みを頂いてきた熱海の隆盛、お住まいの方々の健康と御一家の安泰、そして世の平和を祈りつつ、毎年42を迎える男がご奉仕しています。

※ 「福の道プロジェクト」

JR来宮駅から来宮神社までの道のりにある福道町は、昔からこの道を通って来宮神社に参拝すると福が授かるとも言われ、来宮神社へ通う良き道(参道)とされてきました。現在も、来宮神社への参拝客がこの道を多く利用しており、現代にこの「福の道」を復活するべく、来宮神社と周辺の個店が連携して新商品の開発や、あらたなサービスなどを展開している事業。
 また、プロジェクトの第1弾として、平成25年9月に来宮神社に来宮神社ゆかりの食材である麦こがしや橙を使ったスイーツを神社周辺のお店が考案したものが「来福スイーツ」。今回、新たにスイーツ以外の来福メニューも加わりました。
<詳しくはこちら> http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000008629.html

プロフィール

雨宮盛克(あめみや もりかつ〉

昭和43年 熱海市生まれ
國學院大學文学部神道学科卒業
(神職資格「明階位」取得・中高等学校教員免許資格取得)

大學卒業後、東京深川富岡八幡宮に奉職
平成八年 来宮神社禰宜を拝命
平成二十四年 来宮神社宮司を拝命
神道青年東海地区協議会初代会長
静岡県神道青年会会長・神道青年全国協議会東海地区理事
神道青年全国協議会事業委員長等を歴任

【現在】
神社本庁参与
熱海 来宮神社第二十代目宮司
多賀神社 下多賀神社 和田木神社 津島神社 神明宮 延寿稲荷神社 湯前神社 藤森稲荷神社宮司

◆来宮神社ホームページ http://www.kinomiya.or.jp
神木「大楠」は樹齢2千年を超え、全国2位の巨樹であり、国指定天然記念物に選定されています。

◆参集殿についてはこちら

http://www.kinomiya.or.jp/newsanshuden.html

【対 談 後 記】

 第1回「アキナイ人たち」。皆さんお楽しみ頂けましたか?
 “アキナイ人”というのは、商工業者としての「商い人」、それから、「飽きることのない」魅力的な人、はたまた、一日中「空きのない」くらいひっぱりだこの人、といった意味を含めています。「あきないひと」なのか、「あきないにん」なのか、それとも「あきないビト」なのか、そこはご自由にお呼びください。ま、もともとタイトルは何でも良かったのですけれど。
 さて、はじめての対談で私はかなり上ずっていたのですよ。あいづちも「はいはい」とか「あー」の繰り返しばかり・・・。
 そんな私のつたない進行にもかかわらず、一つ一つの質問に的確かつ懇切丁寧に答えて下さった雨宮さんの聡明さは、私より二歳お若いのに何歳も年上の人物であるかのように感じました。
 個人事で恐縮ですが、対談中にもお話のあった先代宮司であるお父上は、私にとって高校の大先輩であり、私の父とは地元の同級生でした。お互いに父親を亡くした今、自分たちの「なりわい」を継承していくうえで、父親の不在についてのいくばくかの心細さと責任の重みを、共感を持って話しました(これについては掲載はしませんでしたが)。
 今回のインタビューは冷たい雨が時折そぼふる2月の平日に行われました。そのような天候の中でもお参りをする地元の人たちや、観光客であろう友達同士やカップルを見て、日本人の信心深さをしみじみと感じることができ、同時に、対談中に頂いた神社のコーヒーもまた、しみじみと温かく感じたのでした。
 そうこうして、何とか無事に終えた(?)プロローグ。話の真意が伝わっているかどうかとても心配ですが、今後さらに充実した楽しいコーナーにしていきたいと思いますので、皆さんからのご意見やご感想をお待ちしております。

 それでは次回をどうぞお楽しみに。

---- 出口直樹 拝