⾼橋⼀美(たかはし かずみ)

株式会社キヨミ代表取締役・NPO法⼈テンカラセン代表

「正直、僕はボランティアをするような柄じゃなかったし、そこまでするのは…と葛藤はあったのですが。」

──株式会社キヨミが創業してどれくらい経ちますか?

⾼橋⼀美代表取締役(以下、⾼橋):僕が⽣まれた1976年のさらに20年前に祖⽗が創業したと聞いているので、70 年くらいは経っているのかな。僕は3 代⽬なんだけど、初代が⼋百屋として創業して、2 代⽬の⽗がお弁当屋を⽴ち上げたんです。当時は卸売がメインだったんだけど、過剰仕⼊れで野菜が廃棄になるのがもったいなくてね。そこで、おばあちゃんとおふくろが⼤根を煮たり、じゃがいもを蒸したりしてお惣菜を作って⼋百屋の横で売るようになったんです。そのうち、ご飯もあったらいいねって話になり、じゃあお弁当屋を始めようかと。
今もキヨミには⼋百屋部⾨とお弁当屋部⾨があって、僕は両⽅を⾒ている感じです。

──具体的にどんなお仕事をされてるのでしょうか?

⾼橋:基本的に⼋百屋部⾨は信頼している社員に任せています。全部しっかりやってくれるので、僕はたまにフォローに⼊るくらいですね。お弁当屋部⾨はとにかくやることが多いので、お⽶を炊いたり、調理をしたり、配達をしたり、なんでもやっています。

──お弁当に対して何かこだわりはありますか?

⾼橋:やはり基本が⼋百屋なので、おかずにはできるだけ毎朝仕⼊れた新鮮な野菜を使っています。旬の野菜を使うのもこだわりですね。あとは冷凍ものなど加⼯⾷品はなるべく使わず、⼿作りのおかずを⼊れるようにしています。出来合いのものを使うとどうしても味気なくなってしまうので。

──⾼橋さんは伊⾖⼭の⼟⽯流災害を受けて、「テンカラセン」という団体を設⽴し、代表として復興に尽⼒されていますね。どのような経緯で団体を⽴ち上げることになったのでしょうか?

⾼橋:2021 年7 ⽉3⽇に災害が起きた直後、住⺠の誰が避難して、誰が避難していないのかなど安否情報が錯綜していたんです。あそこのおばあちゃんは避難できたかな?と思って様⼦を⾒に⾏ってみたら、案の定、避難できていなかったりして。他にも、電気や⽔道が復旧しないなど困り事を相談されることがあり、⾃分なりにお⼿伝いをしていたんです。でも、⽇が経つにつれて、⾃分⼀⼈でできることの限界を感じました。みんなでやった⽅が早いんだろう、⼤きな⼒になるんだろうと痛感して、やはり団体を⽴ち上げた⽅がいいんじゃないかと考えるようになったんです。正直、僕はボランティアをするような柄じゃなかったし、そこまでするのは…と葛藤はあったのですが。

──それでも「テンカラセン」を⽴ち上げたのは、やはり⼼境の変化があったからなのでしょうか?

⾼橋:以前は僕⾃⾝、地域に密着して⽣きるタイプの⼈間じゃないと思っていたんですよ。都会で遊んでいる⾃分がカッコよくて、⾦を稼いでこそ男だっていうような価値観で、地域の活動に携わることにすごく抵抗があった。だから、町内会の⻘年部などの活動にも⼀切参加してこなかったんです。でも、⼦供の頃から⼋百屋に買い物に来てくれて、お世話にもなった住⺠の⼈たちが、いま災害で困っていると思うと、何かしなくてはという気持ちが強くなったんです。僕はこの町で育ったんだということも強く意識するようになったんですね。

──災害から1年以上経過しましたが、現在は「テンカラセン」としてどの世な活動を⾏なっているのでしょうか?

⾼橋:被害に遭った住⺠にお弁当を届けては⽞関にあるゴミを回収したり、配達しながら声をかけて元気かどうか確認したり、災害直後と変わらず、地道な活動をしています。何か難しいことをやろうとするんじゃなくて、清掃をしたり、できることを探してやる感じです。メンバーは現在、17 ⼈で、ほかに⼿伝ってくれる⼈も含めれば、30 ⼈程度が活動しています。みんなそれぞれ本業があるので、来れる時にできることをしようというスタンスで動いています。

──活動を続ける中で悩んだりしたことはありますか?

⾼橋:僕⾃⾝も被災者なんだけど、被災すると気持ちの浮き沈みが激しくなるんです。被災された⽅とただお話をしにいくこともあるんですが、とても元気で「また来てね!」と⾔われることもあれば、次の⽇には落ち込んでいて「もういいからほっといて」と⾔われることもある。そうすると、僕らの活動って独りよがりの余計なお世話なのかなと思ってしまうこともあります。まだ、やり⽅が正解なのか不正解なのか、毎⽇が⼿探りの状態ですが、間違っていないと信じて活動を続けています。「テンカラセン」の今後について聞かれることも多いですが、そういう感じなのであまり先のことは考えないようにしています。

──2022 年4 ⽉には「あいぞめ珈琲店」がオープンしました。開業までの経緯を教えてください。

⾼橋:災害で家が流された⼈もいるし、家が残っていても危険区域に指定されて帰れない⼈もいる。⾏政が仮住まいを⽤意してくれたけど、みんなバラバラになってしまった。そんな状況の中、住⺠のみなさんが帰って来られる場所を伊⾖⼭に作りたいと思って、「あいぞめ珈琲店」を⽴ち上げたんです。住⺠はもちろん、観光客も気軽に⽴ち寄れて、みんなで雑談したりできるオープンなコミュニティスペースにすることが理想でした。お店というよりも、近所の友達の家のような場所にしたかったんです。

──災害があったことで本業であるキヨミの事業に影響はありましたか?

⾼橋:災害が起きてすぐに、いつ営業が再開できるかわからないからと、取り引きを打ち切られたこともありました。その時、僕⾃⾝がその顧客をちゃんと⼤切にしてなくて、信頼関係ができていなかったからだろうと反省したんです。そうしたこともあって、会社としてはとにかく売上げの数字を上げていこうというより、既存の顧客を⼤切にして利益率を⾼めていく⽅向にシフトしました。以前は、稼がなきゃいけない、いい⾞に乗って、いい時計をはめて、モテなきゃいけないと、本当にお⾦という呪縛に囚われていました。でも、災害を機に、お⾦ってそこまで⼤事じゃないというふうに価値観が⼤きく変わった。それで随分、⽣きやすくなったんです。僕⾃⾝は、以前の僕よりも今の僕の⽅が好きですね。

キヨミのお仕事、そして「テンカラセン」の活動に懸命に取り組む⾼橋さん。最後に、⼀問⼀答に答えていただきました。

Q.伊⾖⼭のいいところは?

A.熱海駅まで原付で5 分という⽴地。信号がないから、銀座通りから⾏くよりも早いんじゃないかな?

Q.熱海のおすすめスポットは?

A.特にココという場所はないけど、⼭と海と街がぎゅっと凝縮してるところが魅⼒です。

Q.市⺠だからわかる「熱海あるある」を教えてください。

A.熱海市⺠はみんな負けん気が強くて個が強い。熱海は個で成り⽴ってる街だと思う。

Q.今まで旅⾏をして、⼀番良いと思った街はどこですか?

A.京都の伊根の⾈宿。時が⽌まったような⾵景ととても静かな環境に感動しました。

Q.好きなコトやモノを教えてください。

A.⾷べ歩きが⼤好きで美味しいものがあればどこにでも⾏きます。ガラクタ集めも⼤好きで、中野ブロードウェイで半⽇つぶしたこともあります。

Q.趣味やハマっていることはありますか?

A.これといって趣味はありません。あえて⾔えば⼈⽣の探究ですかね。

Q.座右の銘はありますか?

A.「ほっとけよ! オレの⼈⽣なんだから」が、⾃分にとって最近⼀番しっくりくる⾔葉です。

Q.⼦どもの頃の夢は何でしたか?

A.⼋百屋さんです。気づかぬ間に、親にしっかり洗脳されてました(笑)。

Q.今の夢・⽬標は何ですか?

A.何でも屋さんです。やらずに後悔したくないので、思いついたら何でもやろうと。最近では、熱海で8⼈乗りの⾃転⾞、パーティーバイクのサービスを始めました。

Q.今、⼀番欲しいものは何ですか?

A.とにかく時間が欲しいです。寝る直前まであれやりたい、これやりたいと考えて眠れなくなることも多いです。

Q.どんな時に⼀番幸せを感じますか?

A.ボーッとしている時ですね。誰もいないところで、仕事のことも何も考えずにいる時間が幸せです。

Q.⼈⽣をやり直すとしたらいつに戻りたいですか?

A.今がとても幸せなので戻りたいとは思いません。

Q.なってみたい⼈物はいますか?

A.特にいないのですが、あえて挙げるなら江頭2:50ですね。YouTubeのエガちゃんねるがめちゃくちゃ⾯⽩くて。彼は男としてカッコいい。本当にリスペクトしています。